阿波和紙伝統産業会館に行ってきました
知る人ぞ知る、阿波の和紙の歴史は古く、
父の実家は、元々、寺の家系でしたが、
継承者がなくなって以降、先代(祖父祖母の時代)までは
地元の伝統産業である和紙の製造をしていました
この会館のすぐご近所に、父の生家もあります
H・Pの外観の写真の、白壁に四角い小さな穴の開いているところが
この写真の色つきの小さな明り取りです
建物自体は、コンクリートの打ちっぱなしと、
白壁のコンビネーションで、なかなかお洒落な造りです
工場が吹き抜けになっていて、玄関入ってすぐのロビー(中二階)から
一階の紙梳きの仕事の様子が見学できます
ロビーと同じ階に、売店もあります
二階には今回上っていませんが、
展示会場や、教室になっているようです
売店で、お土産を買ってきました
作品をお届けするときに、お客様へのちょっとした添え書きに、小さな便箋をよく使います
父は、祖母が45歳のときに生まれた子供で、11人兄弟の末っ子
小さな頃から、手のつけられないガキ大将だったそうです
父が4歳のとき、祖父が亡くなり、
以来祖母は、この手漉き和紙の仕事で、家計を支えてきました
上の子供は、既に結構大きくなっていたので、
兄弟達で支えあい、父の上の兄までは、皆大学も出て
教師や役人や、坊主の職に就いています
ガキ大将の父が、外でやんちゃして帰ってくると
いつも和紙をすいている祖母の後ろ姿がありました
だから、手漉き和紙に関しては、格別の想いがあるようです
父は、高校時代、砲丸投げの国体選手でした
推薦で、体育大学への入学も決まっていたようですが
間際に進学をやめ、警官になりました
(その後のことは、以前にも書いたとおり)
祖母は、歳をとってから、中風の持病で寝たきりになりましたが
一人だけ大学に行かず、また、実家の姓も継がずに
婿養子に行ってしまった末のやんちゃ坊主を一番、心配し
また、その長女である私のことを、とても可愛がってくれました
寝たきりになってからも、11人の子供の配偶者、子供、更には孫に至るまで
顔と名前を全部覚えていて、家に来ると、真っ先に名前を読んで
家族を驚かせていました
父は、この恐ろしく記憶力の良い、優しくて、また時には
父代わりに厳しかった祖母には、死ぬまで頭が上らなかったようです
私は、父方にも母方にも、大好きなご先祖様のいることを心から感謝しています
これは、一枚だけ私が持っている父方のお婆ちゃんと、
幼い頃の私の写真です・・・