私の住まいは、この勧進橋と伏見稲荷の真ん中辺りに位置するのですが
京都駅方面に行くときは、バスの本数の多い、
この勧進橋(かんじんばし)を通る81系統を利用することがよくあります
さて、勧進橋・・・の名前の由来ですが、意外にも歴史は古く
平安時代の僧侶たちが『勧進』し、集めた浄財でつくられた橋・・・だからだなのだそうです
それ以降、時は幕末
あの池田屋事変で新撰組に同士を倒された長州が
再び上洛しようと、試みたのを阻止するため
近藤勇率いる新撰組が、京都への入り口とも言うべき
竹田街道に面したこの勧進橋の西の土手に、約1ヶ月間も布陣したのだそうです
また、新撰組の中では、謀反者で知られる武田観柳斎が
斉藤一に斬られた場所も、この近くのようです
当時、この勧進橋は、伏見稲荷に寄進するお金を徴収する場所だった・・・
という由来から【銭取橋】という別名もあったそうです
竹田街道は、今でも往年の面影を感じる佇まいで、鄙びた情緒のある道ですし、
また、歴史に関係なく、この辺り一帯は、工場が多く、
染色工場の煙突などもあり、京都らしい雅さはありませんが、
勧進橋から見る風景は、どこか懐かしい昭和を感じるので、私は妙に心惹かれます
でも、東北の方角を見ると、山の麓に東福寺や清水寺の塔が見え、洛外らしい趣も感じます
普段、殺風景な風景も、黄色い菜の花で華やかに彩られていました・・・
上2枚は、勧進橋から南を見た風景
下3枚は、同じく北を見た風景です